舗装用コンクリートブロックの概念は、アッピア街道等に代表されるローマ帝国時代の舗装に遡ります。これらは、締固められた路盤上に石材を緊密に設置することで施工されました。
その後19世紀終わり頃、ドイツで舗装用コンクリートブロックが開発され、第二次世界大戦以前には従来の石畳舗装に代わる舗装材として認知され始めました。
舗装用コンクリートブロックが急速に普及し始めたのは、1940年代後半のオランダであり、レンガ舗装の代替としてでした。その背景として、レンガ舗装はそれまで広く舗装材として用いられてきましたが、戦災復興による住宅需要の高まりとともにレンガが建築用として用いられレンガが不足するようになりました。こうしたことから、レンガと同様の形状のコンクリートブロックが製造され舗装に用いられるようになりました。
オランダのみならず、ヨーロッパ諸国の舗装の多くは石畳あるいはレンガ舗装があったため、コンクリートブロックが広く普及する土壌は十分にありました。中でも、ドイツではオランダでの成果を元に技術開発を進めました。そして、1956年にゼニス社が製造機械を開発したことで、インターロッキングブロックが誕生しました。その後、技術革新の進展と共にさらに普及が進み、現在ではインターロッキングブロック舗装は標準的な舗装として認知されるまでに成長しています。
日本では、1973年にゼニス社の製造機械が初めて導入され、インターロッキングブロックの製造が開始されました。その後、セメントメーカー各社が中心となってドイツの各社から技術導入を行うとともに、1983年にはインターロッキングブロック技術研究会(現在の社団法人インターロッキングブロック舗装技術協会)が設立され、インターロッキングブロックの普及が進みました。
現在では、少子高齢化、循環型社会の進展に伴い、「バリアフリー」、「ヒートアイランド抑制」「資源循環と省資源」など高度で多様な機能に対応した製品が数多く開発され、インターロッキングブロックの果たす役割は大きくなってきています。
日本でコンクリート平板が製造されるようになった正確な時期は定かではありませんが、おそらく大正末期頃(1920年代初)ではないかと言われています。当時は、硬練りコンクリートを型枠に入れ、ローラーで締固め、表面にセメントを振りかけた後にコテで仕上げるといった工程で、手作業により製造されていたようです。
1940年代に入ると、生コンクリート技術の進展により、多数の型枠に軟練りのコンクリートを流し込み、振動締固めを行う流し込み方式により製造されるようになり、生産効率が向上しました。既にこの頃には、着色されたカラーコンクリート平板も製造されていたようです。
その後、1950年10月には「歩道用コンクリート平板」のJIS規格が制定され、標準化が進められました。また、1950年代半ばには、硬練りコンクリートを加圧成形して製造する即時脱型方式が導入され生産効率が大幅に向上するとともに、天然石を研磨した肌合いを模したテラゾー平板等製品のバリエーションも多くなりました。
1970年代には、平板の表面の骨材を洗い出した「洗い出し平板」や、自然石の表面を模した「叩き出し平板」が誕生しました。
1990年代以降、それまでの規格品大量消費から景観重視の傾向が強くなり、表面のテクスチャーを工夫した製品が数多く開発されるようになりました。また、海外の大型機械導入により、さらなる生産性の向上や製品の多様化がさらに進みました。
現在では、高齢化社会の進展や地球環境への配慮などから、バリアフリ-対策、ヒートアイランド対策に寄与する製品の開発が進められています。